>めぐり逢えた優しさと愛情の歌を
と、彼らはLAYLAと言う曲で歌う。
優しさ、と言うものは時にとてつもなくばっさりと人を切りつける。
新約聖書に記された「悲しむ人は幸せである なぜなら慰められるから」と
言う言葉は優しかったけど私のこころにまで届く力を持たなかった。
そうだね、その通りだね、でもそれは他の人に対してだね。と。
ある日出会ったHOWEVERという音楽。
>絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶ事が出来たなら
そう、人は慰められるだけでなくて、慰める力も持っているのだという、
商業音楽とは思えないほどに素直で力強いメッセージは
まっすぐに私の胸に飛び込んできて、そして、前を向いて生きる力に変った。
今、その力をくれたバンドがとても苦しい時間を過ごしてきたことを、
LAYLAと言う架空のミューズに対して思いの丈を伝える音楽を歌っている。
それを吐き出すようにぶつけるように絞り出すように歌い、
暖かい声援と共感の涙を受けた武道館のライブが、
>僕たちを救ってくれたんだ
と。そしてそれを伝えたいとPVを作ってもらったのだとボーカルが言う。
思いの叶わぬ日々。。。彼らはそれでも、
>冗談を飛ばし合った
んだろう。それは間違いない。武道館で見せたピュアな笑顔は、
何かを後ろに背負っているのを感じさせつつどこまでも笑顔だった。
もしかしたら「こいつら鈍いんと違う?」と思ってしまいそうなほどに笑顔。
諦めの混じらない明るい表情は、どこか凛々しく力強さも届けてくれた。
だけど、歌った本人は苦しみを抱えていたのだと。
今、するりと語り、これからは
>希望に満ちた姿
を見せていきたいと気負う事もなくさらにするりと語り、
シングルとして世に出すときは痛みや苦しみを濾過して、
優しさと愛情を表に出した歌に進化させて軽やかに歌うのだ。
泣き言をじめじめ言わない。それはTAKUROくんの美学であり、
TERUちゃんの意地っ張りでもあるのかもしれないけど
程よい温度を持った音楽に生まれ変わった。
きっと、そういう彼らだから目が離せないのだ。
Gの日に私は大阪で資格試験。
さっき、最後の受験準備の書類を送ることができた。
なんて縁起のいい日の試験なんだろう。