一日中、どうやって四国から脱出するか考えても、
結局はまだ四国内にいます。
台風に慣れている自分が、客観的な情報よりも、
音や温度の情報と体感時間で
台風を捉えているのがよぉく分かった一日でした。
で、その体感時間での、予測は今までも結構外れていたというのに。
平成3年の台風19号みたいに、
見るからに邪悪で悪漢な台風だと、用心せざるをえないけれども、
この12号と来たら、
大きい大きいと言われつつ、
小心者の振りをしてジワジワと進行してくる、
実は見るからの悪漢よりもたちの悪い性格でした。
もっともだまされたあたしも、未熟もんでしたが。。。
災害は、想定することで避けられる災難もあるけれども、
想定できない部分があることを、
すっかり忘れていました。
ここしばらくの台風は用心しても、大抵用心しすぎだったので、
油断してしまっていたようです。
高松は安全で台風の来ない街という情報を信じすぎた部分もあるし。
台風の時には、父は自衛隊の船を守りに出勤していて、
我が家は母子家庭状態で台風をしのいでいた、、、
その緊張感は、安全な地にいても、台風の時には忘れてはならないもの、、、
だったようです。
そんな中で、、、一日、あれこれ待っていたので、
待つ間に村岡花子さんの生涯を描いた
「アンのゆりかご」を読破してしまいました。↓
以下、ネタバレ、、、かもしれません^^
村岡花子さんとは有名な「赤毛のアン」を日本に最初に、
翻訳して紹介してくれた方です。
翻訳者という地味な立場の人のうち、村岡さんの翻訳は
本当に沢山読みました。この人が、訳そうと思った作品は、
読んでおいた方が良いとどこかで感じたのでしょうね。
この人は、私が、生意気にも小学校低学年の時に言っていた
「子どもが安心して読める暴力のない物語を普及させたい」という
思いを実行してきた人でした。私はそっちの世界からは
今は離れてしまいましたが。。。
そうか、同じ事を思っていた人なのか。と。
そして、私は今は社会主義者ではなくなりましたが、
村岡さんは、市川房枝さんや、加藤シズヱさんという、
昔、私が尊敬していた人たちと同じ時代に、
同じ思いで闘った人でもありました。
村岡さんとその二人が同じ写真に写っていたのは感慨深かったです。
また、吉屋信子さんと同じ雑誌に小品を書いていたことも
初めて知りました。
そして、この人の人生には、
モンゴメリーの書いた作品のアンやエミリーに、
どこか似た出来事が色々あるのでした。
それは、学童としか言えないような年齢の時から、
カナダ女性の教師達のいるミッションスクールで育った彼女は、
アンの時代の、同時代のカナダの空気の片鱗を知っている人であること
が、モンゴメリーの作品をより生き生きと翻訳させる力に
なったのであろうと想像されました。
久々に、時間も忘れて夢中になって読んだ本でした。
そこにはアンが見え隠れしていました。
村岡さんの生き方は強く凜として、ぶれていませんでした。
アンのように出会った人との絆を大切にしていたことや、
彼女が生きた時代の「女の子の憧れ」を慈しみながら思い出す、
実際にそういう人がいらっしゃるのだ、と知るのは、
世の中の、美しい部分の一つではないでしょうか。
娘さん(実際には養女)は、お母さんというのは、
どこの家でも、ずっと文字を書いている人だと思って
そだったのだとか。その位、書き続けた人生だったとのこと。
私も、本の虫でした。
幸か不幸か、村岡さんの訳したような、
優しいおとぎ話に近い物ばかりを、主に読む本の虫でしたが、
それはそれで、今、本職の方で書いているブログの
文体を生み出してくれた「ゆりかご」になったのかもしれません。
もうとっくに亡くなっている方だけに、叶わぬ思いだけど、
村岡さんとお会いしてお話ししたいです。
その思いをバーチャルに、なんとなく体験させてくれる本でもありました。