昨日が15時間労働で眠くて仕方なかったのだけど、気分転換に興行成績好調なマンマミーヤを見ようと思いついて行った映画館。
で、結局は存在も知らなかった「ZEN禅」の透き通った空気を抱えたポスターと鎌倉時代というのに惹かれてこちらを見てきました。
さすがに本のムシの私も道元禅師の「正法眼蔵」はお手上げで随聞記の方しか読んでません。しかも、しっかり内容は忘れてます(^_^;)
でも、忘れた内容のはずなのに以前に触れたことのある優しさに何度となく出会った映画でした。特に勘太郎さんの笑顔(時には目だけが笑う時も含めて)と内田有紀ちゃんのひたむきさに癒やさました。
一番好きなシーンは道元が宋の地で典座の仕事を嬉々として行う老僧との再会のシーンで正法眼蔵随聞記でも確か書かれていたのではないでしょうか。この場面で、自分が誰の物語を見ているのかわかったのでもありました。
最近、カウンセリングスキルの「話の内容に同意しなくても、気持ちに共感する」という問題解決法にプレッシャーと疑問を感じることがよくあるのだけど、映画の道元さんを見ているうちに、気持ちに対して共感するのは自分を生かして共感しなければ伝わらないのだなあと、小さな光がみえました。
自分を殺し続けて生まれる共感は花咲かず、種も実らせられないのは仕方ないことだと、感じました。
自分を生かし相手を生かすのは決して楽じゃあないからこそ、座禅で自分の奥深くに問って問って問い尽くす必要があるのかというのがなんで光になるかは説明できないけどね、光に思えたのです。
人と人が関わるのは、何かのご縁があってのこと。うまく応援出来るときもあれば、不満を残すこともあるけど、そのひとつひとつが自分を育ててくれるきっかけになるならすごい奇蹟なのでしょうね。
いい映画でした。