新しい車にはCDプレイヤが載ってます。
そして、スピーカもいいものを載せました。
なので、CDをフライングゲットしてから珍しく夜のドライブ。
ハーモニー=調和を生むためでなく、不協和音=人は一人で生きてる訳でないことの証を生むかのように、歌詞にかぶるTERUちゃんのコーラス。
↓ちっとも感想じゃあなくて、独り言です。どうやら(*^^*)
そう、思い出すのはTAKUROくんのMステでの
>HOWEVERの物語の二人が今なら、
>どんな恋をしているのだろうかと、時々考える
という言葉。
自分の思惑とは別に失うものがあり、出会うものがある。人生なんてそんなもの。。。でも、じゃあ「人生なんて」と偉そうに言うくらいに、人生を生き抜いてるの?と、自分に問うと、その答えにきっととまどうよね。
歌は、車の狭い空間にぎっしりと詰まって、ダッシュボードの黒に浮ぶ青い文字と交通信号とに時々中断されながら車の空間からあふれたなにかが、心に流れ込む。
ふと気づいたら、昔、ある人に通い詰めた道を走ってた。
道の景色は、お店が増えたりしてもう全然変わってたけど。
あぁ、そうだね。HOWEVERの続きだね。「うん。」と、他のひとにはわかりそうのないうなずきかたをしたんだ。「うん。」
忙しくて、下手に使えばややこしくなってしまう心は、できるだけ使わないようにして問題が起きないように生きている今日この頃。そんな心にでも
>涙も笑顔も僕に預けて(by TAKURO:I LOVE YOUをさがしてる)
なんて歌われたら、やっぱりしみるのよね。
そのくらいの心は、まだ、残ってる。私にも。。。自分も捨てたもんじゃあないなあ、と思えたのよね。
なんで、あの時に、心を使うことを辞めてしまったのだろう。
今だから、そうやって過去に尋ねられる。
でも、心を使えないくらいに悲しい時間だったのだから仕方なかったんだね、と、今だから答えられる。
そんなふうに自分の心を使わずに、GLAYの音楽に気持ちを預けてもう12年目。
この歌を最初、聴いた時、「I LOVE YOUの意味をさがしてる」というTAKUROくんに、そっと「I LOVE YOUの意味を探さないで」と、つぶやいたのだけど、繰り返し聴いてて、思ったのは、意味を探すというのは、より「あなた」に対して誠実でありたいという、彼なりの答えの一つだったように感じ始めてたんだ。
久しぶりに、「私」に逢える一曲をありがとう。
それだけが今言うことのできる、この歌に対する感想なのかもしれないです。
特設サイト
GLAY 紅と黒のMATADORA / I LOVE YOUをさがしてる