すでに花見の場所取りが始まっています。
忙しかったのと、3月5日の講演に気合いを入れすぎたのとで魂脱殻状態でした。抜け殻も抜け殻なりに、お彼岸なんだから何とかお寺に手を合わせに行きたいと思いつつ時間がとれませんでした。今朝、ちょっと早めに目が覚めたので、ワンコ達のお散歩やラジオ体操のじいちゃんばあちゃんの間を抜けて近所の札所に行ってきました。
薬師如来さまがご本尊のそのお寺は、早朝から焚き火に当たる常連さんらしき人たちが井戸端会議をしてて、ワンコの散歩コースでもあるらしくて、飼い主と一緒に神妙にお薬師さんに頭を下げるワンコが健気でかわいらしいです。朝早くなのに、お大師堂もすでに開いていて、お大師さんにご挨拶。ぼけぼけで「おはようございます」と、馴れ馴れしい挨拶をしたなあと今ごろ気付きました。
こどものころ、お薬師さんのマントラ(真言、だったかな)の「おんころころ、、、」と言う響きが可笑しくて、祖母の後ろでくすくす笑ってえらく叱られた記憶があります。もっとおばあちゃんからお寺や神社さんの詣で方を学んでおけばよかったと、もう会う事の出来ない今になって思ったんです。おばあちゃんは、父が怪我をして長期入院していた時に家事の手伝いに来てくれて、近所のお寺にお散歩がてら連れていってくれてたのはこれも今更に気付くのだけど、父の怪我が早く治ることを祈ってくれていたのではないでしょうか。
それを感じたのは、大師堂の昔から長く長く多くの人の願いと祈りを引き受けてくれたお大師さんの像の影響だったかもしれません。その像の前に立つと、その時に自分に足りないものを少しくれる気がするんです。自信がない時は自信を。肩に力が入っている時はリラックスを。。。可笑しい? 説明はできないから可笑しくても仕方ないかな。
今日は、「後ろはどうなっていますか?」と尋ねられた気がしました。後ろ? 自分で引っ張っていると思っている人に背中ばかり見せて果たして目を合わせているのか? 応援してくれている人の存在に感謝をしているのか?と言うところでしょうか。寝ぼけた頭が一瞬、ハッとしました。そうしてみると、お寺の外にあるお大師さんの歩いている姿像の背筋のぴんとのびた姿に、猫背では言いたいことは伝わりにくいね、なんて、思った訳です。
朝早くから、仏壇掃除用の棕櫚箒を売っているおじちゃん。爾輪を掃き清めている普段着のお坊さんらしき人たち。お寺の中の空気は、すこし時計の針のめぐり方がゆっくりだったかもしれません。