少し光のある闇は怖い。
少し人の気配のある闇は
もっと怖い。
今いるのは、昨日訪問したあるブログに引かれたかのような枯れた蓮の池の脇のアジアンカフェ。ここでは「暗さ」を浮かび上がらせるように光が配置されているのだ。だから枯れた蓮も怖さよりも妖しさをまとっている。
自分を害することのない暗さは心のビタミンなのだろうか。そういえば、善通寺さんの地下でお大師さんの声を聞ける場所までは確かなものは壁と床だけだったのに、守られている安心感で一歩一歩を進むことができたっけ。
明るさは滅びの姿かと、太宰治は書いたものだ。立ち止まってみるに今と言う時代には、暗さは意識しないと体験し難しくなっている。
豊かさの追い払った闇にこそ、豊かさを生み出し続ける力が宿っているのかもしれないと思ったのだった。
(^-^)フロア係さんの笑顔が嬉しい。