東寺の続きです。
1000年の時の向こうには高層ビルなんて無かったわけで、その時代にこの高さの建物とはどれほどの畏敬の対象だったか、と思いを馳せた。丁寧に切りだされ削られて組み上げられて永遠のいのちをもらい、多くの人の敬う心をもらった材木達は、今はひっそりとたたずんでいる。
お大師さんの行跡を見るにつけ、経典を持ち帰り密教のルールを持ち帰り、その上にこのような大きな建築や土木工事をしたということに、人の能力には限界はないのだと勇気をもらう。生きるためには生活の安定も大切で、また人の心には宗教の心も大切で、それと同時に遊びの心も大事だということをこうやって大掛かりな伽藍を持った寺の造営で伝えた人がいた(同じに考えるのは失礼に当たるのかもしれないけど)のだ。
夢中になって建設に当たった匠達がいたのだろうし、でき上がる姿を日々楽しみに見上げていた人がいるだろうしと1000年の時の流れをふっと忘れたこのお寺は気持ちいいところだった。