こうやってウォーキングしながら撮った写真をアップしてみると、なんとも緑と水に囲まれたところにすんでいることを感じます。川は結構ゴミが多いのだけど、そこを泳ぐ魚の種類とか数は水がそれだけのものを養う豊かさを持っているのを示しているのでしょうか。草々は季節ごとに芽吹き花開き枯れていき、見ても見ても見飽きない種類の多さと、人工的には作れなさそうに思われる乱雑さの持つ力強さがあります。
おととし行った京都嵐山では、その自然の紡ぎだす力強い乱雑さを、人間の美意識と「作られた不自然さ」との間のギリギリのところで作りだしているお庭が有って魅入ってしまったのだけど(あのあたり前さ、は忘れ難い)、今住んでいる辺りでは生える草や木の種類の多さというものが余りにあたり前になって、大事にしようという動きがなさ気なのが、未来はどうなるのだろうと言う気掛かりを感じます。
今、田植えがどんどん進んで、からからになっていた田圃に水が蓄えられた景色が一気に増えてきました。水の有る景色が好きです。(この写真も花の下は川なのだけど分かるかしら?)