高松には「読書」というジャンルの娯楽が
まだ生きているのか本屋さんがそれぞれに楽しい街です。
紀伊国屋書店みたいにあちらこちらに
椅子がある本屋さんでじっくり本を選ぶ人を見ると
学生時代の図書館を思い出します。
宮脇書店さんは、よその県では売れ筋の本を
集中的に売っていましたが
本店は広さ感はそのままにオールマイティーな品揃えです。
私が子どものころに好きだった本屋さんを
思い出させます。
ヴィレッジバンガードは、おもちゃ屋さんとCD屋さんとも
合体した面白い本屋さんです。
インクと紙との匂いのある蛍光灯が似会う本屋さんで、
本の背表紙を見てて思ったんです。
ふっと目に入るのは、
いかに幸せになるかと言うたくさんの本の背表紙達。
あなたのままでいい
楽に生きよう
幸運を引き寄せる
無理をしない生き方
等々。。。。
なんとなく、ムッとする私。。。
人生の不幸を見て見ぬふりをして
どうやって本当の幸せを見つけるのだ。って感じ?
目標の低さこそ罪悪じゃないの?
って感じ?
はい、素直じゃないんです。
人生がそれまでの問題解決法では全く行き詰まった時期に、
私は本屋さんで一日のかなりの時間を費やしました。
そこで見つけた本は、新約聖書。
デールカーネギー。
ちょいワルおやじのパンチェッタ・ジローラモのイタリアエッセイ。
7つの習慣。などなどなど。
親鸞さんとかも読んだのはその時期かもしれません。
本は確かに勇気をくれました。
でも、何なのでしょう、最近のこの甘々な本達。
自分の不幸を認めずにどうやって乗り切るの?とか。
楽に生きるのって目的だったの?結果じゃないの?とか。
自分の痛みを理解しようとせず、こらえようとせずに、
人の痛みが理解できるの?とか。
私の目は、どこか厳しすぎるのかもしれないです。
でも、そう思ってしまったので、とりあえずここで
つぶやいておきます。
本当の幸せには、疵(きず)もあるし、
欠けた部分もあるし、でも、
そのどこかちぐはぐなところさえも
受け入れられるところに宿るのじゃないのだろうかと、
今の私は考えています。
おろしたてのぴかぴかさは、幸せの赤ちゃんにすぎないと。
だから、悲しんだり、自己嫌悪に辛い思いをしたり、、
そのすべてを否定させると、本当の幸せを見落とさないのかしら。
なんて、思う自分がいるのです。
人は人でいいじゃん、、、、と、思わない、
一人でも沢山の人が幸せであって欲しいという、
青臭い魂がまだ、自分の中に健在であるのに、
本屋さんで気付いたと言う出来事でした。
そんなことを思いつつ買ったのは、
「WILL」という評論雑誌の別冊と、赤毛のアンのシリーズの最終巻。
どうやって生きるかは、私は私で決めるから邪魔しないで。。。
というふてぶてしさ、
いつからまとい始めたのだろう。自分(*^_^*)